トップページ > 台車の通販を行う【エビスネットPROショップ】の豆知識 > 台車とは?~通販で台車をお探しなら台車の専門【エビスネットPROショップ】

台車とは?台車の専門【エビスネットPROショップ】

台車とは?台車の通販【エビスネットPROショップ】

台車とは?台車の歴史から見る

そもそも台車とは?台車と呼ばれているのはどんなものでしょうか?荷物を載せて運搬するため荷台に車輪がついたもの、道具。というような感じでしょうか。なんせ、台に車輪(現在ではキャスター)がついていれば、何でも台車でしょう。

歴史的な観点から見ていくと、荷車、大八車(代八車)がルーツだと考えます。そのもっと以前は、川が【運搬】の重要な役割を担い、陸地では丸太を並べてその上を転がしたのが【運搬】だったように思います。

丸太を並べてコロとして運搬するのが重量物運搬の原点

丸太を並べてその上を転がして重量物を運搬する丸太をコロと呼んだそうです。近代でも造園業等で大きな石を運ぶ際には、コロが使われており、道板を敷いた上に丸太(コロ)を並べてその上にソリやコシタを敷き、その上に石や大木を置いて運搬するようです。

重量物を載せるソリも、その昔(古墳時代)は、修羅と呼ばれており、Vの字、またはYの字の形をしたもので、二股に分かれている先端の部分を舟のように前方へ向け、これに石を乗せ、大人数で綱で引っ張る運搬具。ソリはコロの上でも使うが、ソリ道といって丸太を半割りにしたものを地面にたくさん並べて、これに油を塗ってその上で重量物を運搬するために使ったようです。

修羅の名前の由来は、大石を【たいしゃく】と呼び、それを帝釈天に引っ掛け、帝釈天を動かせるものは阿修羅すなわち修羅であると語呂合わせからきたものとされているが、古墳時代に何と呼ばれていたかは不明です。遺跡の出土で、近世に付けられた名前だそうです。

そもそも車輪はどうやってできたのでしょうか?

台車とは~車輪の歴史がルーツ 台車の歴史を辿る~車輪ができるまで

車輪の最古の最重要な発明とされています。上記で紹介したコロの上に置き、重量物を載せたソリ(橇)の下にコロを固定化したのが車輪の始まりで、さらに車軸と回転部が分離して現在の車輪の形となったようです。車輪の起源は古代メソポタミアで紀元前5000年(ウバイド期)に遡り、元々は轆轤(ろくろ)として使われていました。その北方、コーカサスの洞窟では、紀元前3700年ごろから、荷車などが使われていた痕跡が見つかっています。車輪のある乗り物(四輪で軸が2つあるもの)と思われる最古の絵は、ポーランド南部で出土した紀元前3500年ごろのものと思われるBronocice(ブロノチツェ村)の鍋に描かれたもので、ワゴンのようなものが描かれています。

馬車は台車のルーツ?

台車とは~馬車がルーツ

馬に引かせて人や荷物を運ぶ車を馬車といいます。日本以外の国では、馬車の方が発達しておりました(日本は牛車が発達)。乗用馬車、荷馬車、鉄道馬車、郵便馬車、自家用馬車などいろいろの種類がある。二輪車と四輪車があり、それを引く馬の数は二頭立て、四頭立て、八頭立てなどがありました。

馬車は古代メソポタミアあたりで考え出されたといわれています。その用途は戦闘用の戦車で、エジプト、ギリシア、ローマなどでは数頭の馬に二輪車を曳かせて、戦車として用いましたが、競技用としても使用しました。最古の馬車はスサ遺跡(紀元前3000年頃)から出土した四輪車、中国の殷(紀元前1100年頃)の車馬坑(車と馬とを副葬した竪坑)から出土したものは、1本の轅(ながえ)をもつ四頭立ての馬車(駟(し))でした。

台車は馬車で運搬がルーツ

1860年に福沢諭吉がサンフランシスコで初めて馬車に乗ったが、走り出すまで乗り物だということが理解できなかったそうです。日本では、家畜に曳かせる乗り物の伝統が明治まで途絶えていたことがわかります。

1872年(明治5年)に始まった東京の乗合馬車は、馬丁がラッパを吹いて通行する人に注意をうながして走りました。多人数が一緒に乗った馬車です。落語家、橘家(たちばなや)円太郎が明治10年代、当時の乗合馬車の御者の真似をして評判になったことから乗合馬車のことを円太郎馬車と呼ばれたりしました。がた馬車やがたくり馬車。鉄道馬車開通後はそれも称した。えんたろうは、もはや馬車の総称のようになったようです。

台車は鉄道馬車がルーツ

鉄道馬車(馬車鉄道)は、軌道上を走る馬車の輸送機関で、1836年ニューヨークで市内交通機関として現れ、1854年にパリ、1861年にロンドン、1865年にベルリンと、世界の各都市に広まりました。日本では1882年(明治15年)6月に東京馬車鉄道会社(日本初の私鉄)により新橋~日本橋間に開通、10月には日本橋~上野~浅草~浅草橋~日本橋間が開通しました。車両はイギリス製と日本製とを混用しており、4フィート6インチ(1,372mm)幅の軌道上を、定員24~28名の客車1両を2頭の馬が牽引しました。乗合馬車に比べて大変快適と言われ、その後全国各地に広まり、1891年に大阪、1898年には函館でも開通しました。しかし、京都の市街電車を真似て東京でも1903年(明治36年)東京馬車鉄道は電車に変わり、後の市電、都電の基礎となりました。地方都市でも次第に鉄道馬車は電車やガソリン車にかわり、第一次世界大戦前にはほぼ姿を見なくなりましたが、地方によっては昭和の初めまで残っていたようです。

牛車は台車のルーツ?

台車は牛車がルーツ

(平治物語絵巻)

牛車(ぎっしゃ)といい、牛に曳かせた屋形の乗り物で貴族が用いたものです。奈良時代以前にもあったようですが、平安時代になり京の都を中心に道路の発達、路面の整備が進み、牛車を盛んに乗り物として利用するようになりました。身分により種類が異なり、大型で華美、太上天皇・皇后・東宮・准后・親王や摂関などが晴れのときに用いた唐車(からぐるま)や、屋形の軒が唐破風(からはふ)に似たつくりの牛車で上皇・親王・摂政・関白などが、直衣(のうし)を着たときに乗る雨眉(あままゆ)の車、白く晒(さら)した檳榔の葉を細かく裂いて車の屋形をおおった牛車で上皇・親王・大臣以下、四位以上の者、女官・高僧などが乗用した檳榔毛(びろうげ)の車(檳榔車)、屋形の表を色糸で飾った主に女性用の牛車で地位により青糸毛・紫糸毛・赤糸毛などがある毛車(けぐるま)・糸毛の車、屋形を竹や桧の薄板で網代に組んで覆ってある公家が使用した網代車(あじろぐるま)、車の箱の表面に八葉の紋をつけた牛車、八葉(はちよう)の車などがあります。

牛が曳く荷車のことを牛車(うしぐるま)ともいいます。

大八車は台車のルーツ?

台車は大八車がルーツ

大八車は代八車とも書き、名の由来は諸説あるようですが、一台で八人分の仕事(運搬)ができるところから代八車と呼ばれるようになったとか、車台の大きさが8尺(約2.4M)のものを大八と呼んだとか。現在の滋賀県大津八町で使われていたことから、「大津八町の車」が略され「大八車」になったとか、発明者の名前からとか色々あります。

台車のルーツ大八車の歴史

(※放送大学附属図書館様の許可を得て掲載させていただいております。)

台車とは~大八車は現在の道路標識にも

大八車は近代以前は、輸送・運搬手段として活躍し、米や炭、遺体までも運んでいました。よく時代劇に出てくるので、イメージしやすいと思います。大八車を引いて荷物を運搬する人々は【車力】、【車引き】と呼ばれ、前方で大声を張り上げ、人を避けさせる人と、後ろから押す人の2~3人が一組で運んでいたようです。現在でも、道路標識の「自転車以外の軽車両通行止め」で大八車が描かれています。

台車のルーツ大八車は現代でも活躍中

(※放送大学附属図書館様の許可を得て掲載させていただいております。)

二輪の大八車は、あまりにも積載物が重たいと後ろにひっくり返ったということもあったらしく、四輪の大八車も生まれたらしいのですが、バランスが良くても小回りが利かないので、曲がり角を曲がりにくいという欠点で消滅してしまったようです。その後、明治時代以降は、二輪の大八車の前方部に旋回可能な前車を取り付けて四輪とした構造の荷馬車が製作されるようになり、自動車の時代がくるまで日本各地で使用されました。

近代まで活躍した大八車と人力車。明治30年代の神戸多聞通の写真

(明治30年代の神戸多聞通の写真)

大八車から人力車の時代へ

(※放送大学附属図書館様の許可を得て掲載させていただいております。)

二輪の大八車は、人を載せるサービス業として人力車に姿を変えていきました。人力車は人を人力で運ぶ乗り物で、明治・大正・昭和初期に普及しました。江戸末期になると輸送手段の車の規制緩和が進み、大八車に旅人を載せ始め、数人の乗合客を乗せる乗合型の車が出てきたが、乗り心地が悪く、車夫(俥夫)も多くを必要とした。また、政府に重税を課せられことも重なり明治20年代には乗合型の大八車は姿を消したといわれてます。

大八車と同じように2つの車輪が中心についた車に乗客を乗せ車夫が曳くのを人力車と呼びました。人力車には一人乗り、二人乗りがあったが一人乗りが圧倒的に多く、駕籠より速く、馬に乗るよりも安かったために人気の交通手段になったようです。人力車を曳く車夫は基本的には一人ですが、大八車と同じように、二人以上で引いたり、時には押したり、交代要員の車夫がついたりと2~3人で曳くこともあったようです。

日本の人力車の発明は、和泉要助氏、鈴木徳次郎氏、高山幸助氏により明治2年に製作し、明治3年(1870年)3月22日に東京府に製造と営業を出願し。3月24日に許可を得たとされます(3月24日は人力車発祥の日)が、17~18世紀のフランスにはビネグレットという二輪車の乗り物があり、貴族階級の自家用、乗合馬車と共に庶民の交通機関として活躍、イギリスにもセダン・カートと呼ばれる人を運ぶ車夫が曳かず馬が曳く乗り物があった。17世紀のオランダのアルノルドゥス・モンタヌスが残した日本に関する書物の中の挿絵に人力車に乗る太閤の絵が描かれているらしく、17世紀の安土桃山時代時代にすでに二輪の人力車があったことになりますが、どうなんでしょうか。

和泉要助氏が開いた出島屋要助商店の人力車は、日本橋高札場付近を拠点に営業を開始。身内を桜として乗せて近所中を曳いて回り、徐々にお客さんが増えていきました。新規加入者は彼ら3人のうち1名から押印してもらえなければ人力車を買えず、営業も出来ない状態でした。しかし、人力車普及に伴い3人の専売出願の立ち消えなどで、許可を得てから僅か3年ほどでそれまで持っていた権限の全てが剥奪されることになったようです。

駕籠から人力車へ

大八車から人力車、駕籠から人力車へ

(広重「東海道五十三次之内 草津 名物立場」保永堂版)「早駕籠」

人力車の普及により1872年までに東京市内にあった1万ほどあった駕籠は姿を消し、人力車が日本の代表的な公共輸送機関に取って代わり、大方の駕籠屋は人力車俥夫へと転向せざる得なくなった。1876年(明治9年)には東京府内で2万5038台の人力車があったと記録されており、19世紀末の日本には20万台以上の人力車があったといわれます。明治3年12月、人力車は大阪に移入され、全国へと普及していきました。各地に中継地ができ、道路も整備されていったので長距離輸送も可能となりました。健康な大人の徒歩速度は大体時速4キロほどで、これに対し人力車は時速8~10キロほどで、およそ倍も速く走ったと言われます。

人力車の形には様々なものがあり、腰掛型、坐型、二輪、三輪、四輪、ちりとり型、だるま型など、多種多様の人力車の形があったが、1875年(明治8年)頃に現在の人力車に近い形に。秋葉大助氏(父子)が西洋馬車にヒントを得て改良した舟型が祖型となったと言われている。秋葉製の人力車は非常に好評で、彼の作った人力車を大阪では「大助車」と呼んだほどでした。1907年(明治40年)代になると木製の車輪はゴム輪へと代わっていきました。

人力車の俥夫にも階層があり、「おかかえ」と呼ばれる、政治家や医師などのお抱え俥夫、「やど」と呼ばれる車宿に雇われる俥夫、「ばん」と呼ばれる人力車駐車場を拠点とて組織された俥夫集団、そして「もうろう」と呼ばれる流しの俥夫がいた。駕籠や馬に代わり全国に普及した人力車でしたが、鉄道や自動車の発達によりやがて衰退していきました。

様々な業種で使われる台車

様々な業種で使われる台車とは

様々な業種で台車は独自の進化を遂げていきます。大八車からの構造を継承している台車も数多く存在します。その一つがリヤカーではないでしょうか?現代でもまだまだ使われている継承された運搬車だと思います。

リヤカー等の曳く台車 様々な業種で使われる台車~ラクダ牽引台車

曳くということが台車の原点かもしれませんね。台車というよりは運搬、輸送の原点ですね。材質が、木材から鉄やゴムなどに変化し、現在に至ります。

押す台車、手押し車
手で押す台車

中には押したり曳いたりできるという台車も生まれております。一輪車の原型です。すべて木製の一輪車です。今の一輪車(猫・ネコ)は押す方が運搬しやすくなってますね。車輪が一輪の手押し車を弧輪車と言います。孤輪車の名称は国税庁の「収支内訳書(農業所得用)の書き方」にある「主な減価償却資産の耐用年数表」の「運搬用機具」の欄の例示にも用いられている名称ですが、現場でそんな呼び方をする人はいないでしょう。一輪運搬車、工事用一輪車、農業用一輪車、猫車、ネコと呼ばれます。猫車と呼ばれる所以はいくつもあるようです。

建設用語で狭い足場を俗に「猫足場」といい、その狭いところに入ることが出来る一輪車というところから来ているという説や、漆喰を練った「練り子」を運ぶ道具でありその略という説、一輪車を伏せた状態で置いた姿が猫の丸まっている姿に似ている説、運搬時に猫のようにゴロゴロと音を立てる・・・様々な語源説がありますが定かではありません。

手押し車の歴史を遡ると、中国の三国志の時代まで遡ります。三国時代の蜀の軍師(後の丞相)諸葛亮孔明が発明したといわれる輸送道具、木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)がそれにあたるようです。その仕組みについては明らかにはされていないが、北宋の高承は「木牛は即ち今の小車の前轅有るものなり。」と小車(単輪の手押し車)の一種であると伝えています。

一輪車ネコ台車 様々な業種で使われる台車~現在の一輪車ネコ車

業種によっても台車の呼び方は変わります。漁業(水産業)・農業・林業では、台車のことを丁稚(でっち)や丁稚車、地車、小車と呼んだりします。果たして、台車と言って万人に伝わるのかどうか、疑問になるほどです。他業種にはわからない呼び方があると思います。市場にある運搬車、ターレーも特有のものですね。石材や大木なんかの重量物を積載するには2輪車の方が使いやすかったり、3輪や4輪の台車もあります。様々な使い方によって台車は進化してきております。

ワゴン台車キャリー 進化した現在のキャンプワゴンとラジオフライヤー台車

ワゴンもかなり変化しております。すべて木製のワゴンから樹脂やスチール、アルミ、ナイロンなどで軽量化され、折りたためるような形状になったり持ち運びが容易なワゴンやラジオフライヤーになっており、現在ではキャンプやBBQ、子供連れのアウトドアには欠かせない存在となっています。

カゴ台車とは

コンビニやスーパー、ドラッグストア、ホームセンター、大型物流倉庫、百貨店のバックヤードまで、色々な場所で目につくのがカゴ台車です。棚板を設置すると在庫、運搬に展示まで1台3役で活躍する台車です。カーゴ台車、カーゴテナー、ロールボックスパレット、ラスティーパレット、パイプカーゴ、イージーコンテナー等、たくさんの呼び方がありますが、ほとんどが各メーカーの商品名です。主にカゴ台車、カゴ車(しゃ)と呼ばれます。ゴミの保管庫で段ボールラックとして使用されていたり、カバーをかけて綺麗な洋服を百貨店の売り場や、イベント会場に運び入れたり、本当に多種多様な使い方がある便利な台車です。

ドーリー台車とは

ドーリーと呼ばれる台車も多く存在します。コンビニの商品納品時によく見かける台車がドーリー台車です。ドーリー台車は基本的にハンドルはありません。平台車で、オリコン(折りたたみコンテナ)や番重(ばんじゅう)などを積載し運搬するための台車を指すことが多いです。基本的にコンパクトなサイズのものが多く、木製(合板製)のものは、板台車や合板ドーリー、木製平台車などで呼ばれます。また、コロや、コロコロ、マメ台車、マメなどで呼ばれることもあります。

パッと思いつく台車とは

皆さんが台車と聞いて一般的に思いつくのはこのようなハンドルがついた台車ではないでしょうか?ハンドルは折りたたみが出来るもの、固定式のもの積載面に収まってしまうもの様々ありますが、一般的な台車はこういうものだと思います。最近では樹脂が主流で軽量化されております。運送業(宅配)の方には欠かせない台車です。足で踏むタイプのバーがストッパーになっているタイプのものや、プッシュ式、ハンドルにハンドストッパーがついてるタイプ、いろいろなタイプのストッパーがあります。

元々はスチール製だった台車が素材を変えて樹脂やアルミになって軽量化し、より使いやすい台車になってきております。製造現場でよく使われていたスチール製の台車ももちろん使われておりますが、作っておられた方が廃業されて…という話は耳にすることが多く、扱いやすい樹脂の台車に変えられていっているのも多いと感じています。

ハンドパレット台車・リフト台車とは

一般的な台車に昇降機能がついたものがあります。それがテーブルリフト台車です。積載部分を昇降することが出来るので、工場や物流倉庫、ピッキングで活躍します。テーブルリフターやリフター、リフト台車、リフトテーブル、ハンドリフターと呼ばれており、手動のものや電動のものがあります。耐荷重も様々で80kg~1,000kgくらいまでの荷重に耐えられる仕様のものがあります。ハンドルがないものやかなりの高さまで昇降できるもの、また、キャスターがなく、設置するタイプのものもあります。

ハンドパレットは荷物を持ち上げてそのまま運搬できるもので、台車とは異なりますが、物流倉庫や建設現場、パレットに積載した搬送物、重量物の運搬に向いており活躍しております。ハンドルの部分を手前に何度も倒すことでフォークの部分が上がります。ハンドパレットトラック、ハンドリフトとも呼ばれます。自動販売機の運搬、設置に使われるタイプは低床のもので、フォーク部分の高さが低いタイプのものです。フォークの幅、フォークの長さ、耐荷重、フォークのリフトアップした高さの違い等があり、フォークの先がないタイプのものもあります。こちらも手動や電動があります。

ハンドフォーク、ハンドフォークリフトと呼ばれるものもありますが、こちらはハンドパレットのようなフォーク長さはなく、昇降に優れたタイプでフォークリフトのように高く上げられるものです。



>>カゴ台車、ハンドパレット、リフター、樹脂台車のご購入はこちら
台車専門店【台車屋さん】


>>中古台車からキャスターまで幅広い台車商品のご購入はこちら
台車専門店【台車屋エビス】

通販で台車をお買い求めなら【エビスネットPROショップ】へ

会社名 株式会社エビス EC事業部
販売責任者 松本 学
住所 〒577-0836 大阪府東大阪市渋川町4丁目2−44
台車・物流機器販売センター
TEL 06-6721-0123
FAX 06-6736-5004
メールアドレス daisya@ebisu-e.jp
URL https://shop.ebisu-e.jp/

組立台車TWINシリーズ

木製平台車 ebシリーズ

ペアキャリー
TWO-TOPシリーズ

ペアキャリー MIGHTY